冬がやってきました。
すでに、立冬(りっとう11月7日)を迎え、二十四節気の暦上ではこの日から冬が始まります。これから、日が暮れるのがもっと早くなり、気温もまだ下がります。本格的な冬の訪れの前に、なにを着たらよいのかしら、と箪笥の前に立ち尽くしたり、出先で冷たい風に耐えきれず新しいストールを買ってしまったりしてしまいます。ついこの前まで暑さに辟易していた私たちをからかうような自然の摂理です。七十二候は、山茶始開(つばきはじめてひらく11月7日~11日頃)、地始凍(ちはじめてこおる11月12日~16日頃)、金盞香(きんせんかさく11月17日~21日頃)と続きます。読みはツバキですが、実はサザンカを、キンセンカはここではスイセンのことを表します。地面も凍り始める初冬の庭を飾る花達が、寒さの中出番を迎える、そんな自然をとらえた候となります。
まだまだ、体は季節の移り変わりに慣れず、対応しようとして蓄積している熱量を消費します。一方、その放出に対して、節約しようともします。その寒さに対する自律神経の生理的な反応は、精神面にも及び、気持ちも内向的になってしまいがちです。秋の夜長に、思わず、いろいろなことを考えこんでしまうような…。でも、それは自然なことなので、逆らわず、ゆったり、穏やかに過ごしましょう。身体を温めて、体の栄養と共に心の栄養も取り入れるようにして、これから迎える本格的な寒さに熱量を蓄えましょう。果物や根菜などを使って、ゆっくりとジャムやコンポートを作る時間を持つのはいかがでしょう?上質のお砂糖を使って、ゆっくりと煮詰められるリンゴやユズなどの柑橘類のジャムは熱量の摂取はもちろん、晩秋の実りの幸福感もたっぷりで、冬の準備にぴったりです。この季節、良く作るのは野菜のジャムです。ゴボウやカボチャのジャムは、お料理にも使えるので、保存食としても便利で、お勧めです。
季節は確実に移り変わり、様々な光景に冬の到来を感じるこの頃です。日暮れが早く、足元の冷たそうなアスファルトに舞う枯れ葉を見て、心細い気持ちになる夕方でも、ふっと目を上げれば、そろそろ、灯り出すクリスマス仕様の温かい街の飾りに、ぽっ、と心にもろうそくが灯るような…。そんな風に、相反する情景が交互に目に入り、景色と気持がつながり、さらに経験が加わり、季節の移り変わりを感じる。自分の歴史も再認識してしまいます。
二十四節気と七十二候が表す季節の移り変わりは、そんな、俯瞰的視野と近視的視野の両方が存在することに、とても身近な感じがするのです。例えば、「地面が凍る」ということは、広く俯瞰の目、でも、咲く花に気づく視線はどちらかといえば、近視的な視野です。
少し前ですが、久しぶりに、能舞台を観る機会がありました。能は日本芸能の代表でありますが、歌舞伎や浄瑠璃の舞台を観ることに比べたら、機会はぐっと少なく、勉強不足で知らないことだらけです。でも、能を観ると、なんというか、脳が動くような気がするのです。ただ観ているだけでは理解できない、たくさんのことを頭の中で処理しなくてはならないからでしょうか。研ぎ澄まされた最小限の動きには無駄なものはなく、静かな激しさと、激しい静かさが混在していて、心が乱されます。特に「悲しみ」の表現には深いものを感じます。役者が演じている物語中の、自分でも知っている近視的な「悲しみ」と、冷静に俯瞰で見る「悲しみ」の姿が同時に存在することで、「悲しみ」という感情が、立体的に見えるような気がするのです。
世阿弥が残した「離見の見」という言葉があります。これは、「役者が能を演じている時、舞っている自分を離れたところから冷静に見る別の自分を持ち、全体を一望するような視点を持つことが必要である」という意味です。深い。
自分のガラス作品や、好きで続けているバイオリン、ひいては、自分自身にも当てはまることだと思うのです。ガラス作品製作の技術を学んで、丁寧に作品を作り上げる近視眼的要素と、その作品を魅力的に仕上げて、自己満足に陥らず、まずは自分が手に入れたいような作品であるのか、という視線と、さらには、その自分を俯瞰で見られる眼。また、本職として楽器を弾いているわけではありませんが、譜面をきちんと弾くことが近視眼的行動だとすると、音楽全体を考えてオーケストラの中の自分を俯瞰で見ることも必須。いずれにしても、良い眼が持てるよう、磨きをかけ、いつか、「離見の見」を会得したいものです。
と、日本の暦の近視眼的精密性と俯瞰性を思っただけなのですが、なかなか見られない自分の姿まで、この晩秋の夜長に考えさせられてしまいました。あまり深刻にならないうちに寝ることにしましょう。
皆様、今夜もぐっすりお休みください。
染谷雅子
ガラス作家・アロマセラピスト 染谷雅子
ギャラリーはなぶさ https://www.hanabusanipponya.com
作品名:「思い出のかけら達」