日に日に緑が多くなり、目にまぶしい花々が咲きそろい、魔法にかけられたように景色は変わり、春が進みます。
二十四節気は清明(せいめい)へと進んでいます。清浄明潔、世のすべてが清らかで明るいという意味です。七十二候は玄鳥至(つばめきたる)、鴻雁北(こうがん北へ帰る)、虹始見(虹始めてあらわる)、と続きます。燕がやって来て、反対に日本で越冬した雁が北へ連体を組み、飛び去り、雨上がりに虹が現れる、そんな、清々しい春の一時期に私たちはいます。
今年のさくらも美しく、また儚く、過ぎる時間を彩って行きました。川面は花筏、緑が見え始めた木からは桜吹雪、と、散ってなおその姿を美しく表現される花は、唯一、さくらでしょう。さくらに続く春の花々も次々と咲き誇り、毎朝、吸い込む空気に何か花の香りが漂うような頃となりました。土と雨と花、春の匂い。
「花」を使った言葉は数多く、季節とつながる言葉もたくさんあります。「花曇り」「花風」「花冷え」「花嵐」など、この時期の花の咲き繁る様子や気候を表す言葉は豊富です。
「花散らしの雨」もそうです。この頃の雨はとても心配。この雨で花々は散ってしまうのかしら?と思うのは寂しいものです。
さて、春の睡眠が本当に心地よいことは、周知の事実。
そして、口走ってしまう…、「春眠、暁を覚えず」と。中国7世紀ごろの五言絶句「春暁」の第一句です。この絶句、最後までご存じですか?想像してみてください。
春眠不覚暁 春の眠りは、朝になるのがわからない
処処聞啼鳥 あちらこちらで鳥が鳴いている
夜来風雨声 夜は雨風の音が聞こえた
花落知多少 どれだけの花が散っただろうか
と、春の眠りの心地よさとともに、その眠りの中、うっすらと聞こえた花散らしの雨で、花が散ることを惜しむ気持ちを詠っています。1000年遥か前に、この気持ちが詩に残されているのです。季節の移ろいと、その時々、人の気持ちの変わらぬ思いに、嬉しさがこみ上げます。
もう一つ、花のつく言葉、「花疲れ」があります。お花見に出かけて、疲れてしまう様子が季語となりました。寒さが緩む中、陽や風にあたり、思いのほかたくさん歩いて、疲れてしまう「花疲れ」。心当たりはありませんか?
実は、先日も地元のさくらの名所へお花見に出かけ、半日、曇天でも美しく映える満開のさくらを見上げ続けた翌日、なんとなく頭痛と肩こり。すると、家人の口から「花見凝り」じゃない?と。通っている整体院で、その言葉を聞いたとのことです。普段、スマホやPCなどの利用で、下向き、俯きがちな生活姿勢になっているところに、さくらを愛でるために、長時間仰ぎ見上げる姿勢をとることで、首や肩が凝るそうです。なんということでしょう。勝手に作ってしまいましたが、新しい言葉「花凝り」で、日々の生活姿勢を反省します。
季節の変わり目とともに、年度の変わり目でもあり、心身共に疲労が溜まりやすい時期です。そんな中、心休めるつもりで出かけるお花見で、肩が凝ってしまっては残念です。やはり、どんな時でも、きちんと食べたら、次は燃焼。運動です。運動の時間がなかなか取れなくても、毎日、少しずつでも、ストレッチを取り入れることで、エネルギーを燃焼させて、また、筋肉を伸ばすことで、体内に停滞している水分や老廃物を動かして、排出しましょう。股関節の柔軟性などももちろん大切ですが、上半身、首肩回りのストレッチもお忘れなく。
一度両肩を上げて、肩甲骨を引き寄せるように下ろし、身体の真横に両腕が来るようにして、首を前後左右にゆっくりと伸ばします。肩はしっかり下したまま。上を向くと、首の前の筋肉が気持ちよく伸びるのが、わかると思います。無理をせず、ゆっくりと。さらに、寝る前に適度なストレッチをすれば、良い眠りへとつながります。
今日も雨模様です。花散らしの雨を思い、来年の春には、再び「花疲れ」や「花凝り」にならないように、俯かず、視線を上げて、季節の変化をたっぷり愛でたら、朝を気づかないほどの良い眠りを今夜も楽しみにいたしましょう。
染谷雅子
ガラス作家・アロマセラピスト 染谷雅子
ギャラリーはなぶさ https://www.hanabusanipponya.com
作品:シーグラスのベッドサイドライト